上京して20年。
地方から人が集まり続けるここ東京に異変が起きている。
原因は、テレワークだ。
テレワークにより、東京に拘らなくても仕事は出来るということに皆が気付いてしまった。
地方に拠点を移す会社もチラホラ出てきた。
しかし、私は東京に住み続けたい。
田舎よりも家賃は遥かに高く、狭い部屋にも慣れてしまったが、ここには田舎に無い魅力が溢れていて、私を飽きさせない。
とにかく新陳代謝が早いのだ。新しいものが生まれては消え、気の向くまま手を伸ばしているうちに、部屋には無駄な物が溢れてしまった。
そんな私が、ここ最近、テレワークのスペースを確保する為、断捨離にはまっているのだ。
思えば、田舎から上京する時、実家に置いていくか迷いつつ持ってきたダンボールがある。
その後、東京でも何度か引越しをしたが、ダンボールがちょっと洒落た衣装ケースになったくらいで、中身はそのままである。
そんな長い付き合いの物たちまで、断捨離目線で見つめるようになってしまった。
週末、今日こそはとクローゼットの奥深くに仕舞っていた衣装ケースを引っ張り出す。
その場しのぎに放り込んできたことがよくわかる。時代も選考基準もバラバラ。とりあえずその時の私が“捨ててはいけない”と判断したものが、節操なく詰め込まれている。
大学時代の写真が入った袋からは、自分が書いたレポートなんかも出てきた。このレポートは教授に良い評価をもらったことがうれしくて捨てられなかったのだ。今読み返してみると、ふーんという程度の出来だが、誇らしい気持ちは蘇ってきて、引き続き保管決定である。ちなみに、レポートは手書きだ。昔の自分の字さえ新鮮である。こんなに丸い字を書いていたのか。ふざけて生きていたなぁ。
一人暮らしをしていた京都から、就職のため田舎に帰ることになった時、クラブ活動の部員からもらった寄せ書きが出てきた。放射線状に書かれた色とりどりのメッセージを色紙を回しながらゆっくり読んでいく。どの言葉がきっかけなのか、どういう理由かよくわからないけど、ぶわっと涙が出てきた。
時折、断捨離していたことを忘れては、日が暮れてしまった。
そして、いよいよ離れがたい物たちがここに残った。
結果は、大して減らなかった。
思い出の物たちとの別れは、そう簡単ではないようだ。
ならば、いっそトランクルームに引越しさせてはどうだろう。
田舎では遠すぎる。いつでも手の届くこの距離感が絶妙ではないか。
東京で生きていく私には、トランクルームが必要だったのだ。
私の選択は“トランクルーム東京”だった。
懐かしさと微笑みと涙が一度に吹き出すかもしれない場所は、ちょっと綺麗な場所であって欲しいから。
トランクルーム東京